2021年2月16日火曜日

2.最初の作品

 最初の作品

  DSiを入手したゴロハチVXは、しばらく習作を重ねていましたが、2010年5月頃に苦労の末Wi-Fi環境を獲得すると、それまでに描きためていた作品の公開を始めます。記念すべき最初の公開メモは、通称「トンネル」または「崖」。制作自体は2010年1月31日のようです。

 ご覧のとおりの単純なメモです。しかしながら、ループまたはリピートで観ていると徐々に味がでてくる感じですね。スルメのような魅力があります。

 また、でこぽん氏が、「学校シリーズ」全盛期に本作をサルベージして、「ゴロハチはデビュー時から光っていた」旨の発言をしていましたが、たしかにトンネルから抜ける場面のオンボードカメラ風の主観的視座などは、映像表現上なかなか効果的だと思います。

 本作のモチーフとなっているのは、言うまでもなく川端康成『雪国』の冒頭部分です。しかしながら、川端が情景を「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と描いたのに対し、ゴロハチVXは「こっきょうの長いトンネルを抜けると、そこは、ガケ」と発声しています。

 わたしは、「そこは」の挿入の意味についてとくに気に留めてはいなかったのですが、最近になって本人に確認したところ、ゴロハチVXが「そこは」を加えたのには明確な理由があったことがわかりました。

 すわなち、「『雪国』の冒頭部分には主語がなく、それゆえにこそ様々な解釈が可能なのだと指摘されているが、その意味が当時は良くわからなかった。ちゃんと『そこは』を入れたほうがスッキリすると思った」のだそうです。

 そして、この主語うんぬんの争点については、2010年当時わたしとも議論したといいます。面目ないことに、わたしはそのことを全く記憶しておりません。

 ただ、いずれにせよ確実にいえるのは、「そこは」の挿入はゴロハチVXなりの解釈の結果であり、何となくではなく敢えて行われた作業だったということです。

 ところで、周知のように、『雪国』冒頭部分には、文学解釈上の有名な論点がもうひとつ存在します。すなわち、「国境」の読みは「くにざかい」なのか「こっきょう」なのかという問題です。ゴロハチVXは「こっきょう」を採用しています。なぜ「こっきょう」と読んだのか。この点は、日を改めて確認したいと思います。

歩行表現

 最初期のゴロハチVX作品の登場人物は、移動の際にはたいてい何らかの乗り物を利用しています。前出の「トンネル」では自動車が使われていますが、これはトンネルが作品舞台であるがゆえの例外的な表現といえ、多くの場合には、移動手段としてUFOが描かれていました。
 たとえば、2010年3月7日制作のこの作品がそうです。


 また、「最初期の作品であるにもかかわらず『シリーズ』の体をなしている」としてゴロハチVXが気に入っている「大怪盗ボニンゲーン」2作(2010年6月21日・26日)でも、主人公はやはりUFOに乗っています(ちなみに、記録を確認すると「大怪盗」には当時パート3の構想もあったそうですが、その内容については、残念ながら本人も完全に忘れてしまったそうです)



 小学生時代のゴロハチVXがとくにUFO好きだった事実はありません。したがって、UFOのメモばかり描いているのを不思議に思い、なぜみんなUFOに乗っているのかと当時質問したことがあります。その答えは、「人が歩くのを描くのは難しい。足を上手に動かせない」というものでした。そのときの悔しそうな表情がとても印象に残っています。
 もちろん、最初期のメモでも主人公が歩くものはありました。たとえば、2010年6月12日の作品。



 または、2010年9月2日の作品。


 最初期の作品における歩行表現はこのレベルでした。

 では、次に、DSi時代のゴロハチVX全盛期の作品のひとつで、有名ないわくつきのメモ「ぼくの勝手でしょ」をご覧ください。制作は2013年1月16日です。


 とても同じ人間が描いたとは思えませんね。当時、ウネヌップキク氏が、この「ぼくの勝手でしょ」について、「ゴロハチは足の動かし方と手の振り方がスゴイ」と評しているのを見た記憶があります。
 わたしにはうごメモの技術的なことはわかりませんが、2013年当時、ゴロハチVXの作画テクニックはすでに完成の域に達していたといってよいのでしょう。

 以上、今回は、最初の作品を分析するとともに、歩行表現技術についても若干の考察を加えました。
 次回もゴロハチVXの初期の活動について検討を続けます。
 


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